仏教の生命観 ~その1
私たちは今、この世に生きていますが、この生命とはいかなるものか。
「死んだ後はあるんだろうか」
とか
「前世はあるのか」
と考えたことのある人は多いと思います。
このような問題に対して、いろいろな宗教がいろいろに説いています。
キリスト教やイスラム教が、多分に人間的、情緒的であるのに対して、仏教は仏陀の計り知れない智慧(仏智)に基づいて、世界や生命のありようを理性的に説かれています。仏教は、真理を悟ったというお釈迦さまの仰せが示すように、あるがままを観じてそれを伝えられているというスタンスです。
それは「人智で捏ね上げた説」と、「真理を観る智慧を体得した仏が、ありのままの世界を不完全な言葉で何とか伝えようとされた説」との違いです。どちらを信条とするかは各人の思いでしょうが、できれば本当のことを知りたいものです。
仏教の生命観について、聞く機会がありましたので、書いてみたいと思います。
私たちは生まれてから死ぬまでを一生とし、それが私の生命のすべてだと考えています。死後や前世を認める人でも、あくまでも今、知恵の及ぶ範囲内で判断した死後や前世であり、今の世界観の延長線上にあるもの。
そういう生命観の代表的なものとして、仏教では、
「有(う)の見(けん)」
「無(む)の見(けん)」
という二つの思想をあげられています。
これは死後をどう見るか、ということで、
「有の見」は死後があり、固定普遍の魂が永遠に続く、という考え。釈迦は「常見(じょうけん)外道(げどう)」ともいわれます。
「無の見」は死後はない。死ねば何も無くなる、という思想で、「断見(だんけん)外道(げどう)」ともいいます。
いずれもよく聞く、死後についての見解ですが、仏教ではいずれも「外道」と排斥しています。じゃあ、仏法は、どのような生命観を説くのか。それを端的に教えられているのが、この言葉です。
「因果応報なるがゆえに来世なきにあらず
無我なるがゆえに常有にあらず」(阿含経)
これはどういうことか。
続けて見ていきましょう。
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